[木組みの家] どうして木組みの家にしようと思ったか

4月 21, 2007 · Posted in 木組みの家 

ともとは木組みの家というものにすごいこだわりがあったわけではなかった。もとより木組みの家というものについて全く知らなかったといっていいくらい。それがどうして木組みの家というものにたどり着いたかということを記憶を頼りに書いていこうと思う。

ただ、この記憶というのがあまり当てにはならないのでその点は許してもらいたいと思います。去年生まれた子供の名前がどうやって決まったか?ということについて、僕とうちの奥さんとの内容が違うというくらい当てになりません。

僕は結婚をしてから今のところに移り住むまでは西荻窪に住んでいた。西荻窪はうまい食い物屋飲み屋がたくさんあるいい街だったのだが、それ以外でよかったのが井の頭公園が近くにあったことだ。
うちの奥さんは散歩好きのため週末はよく一緒に散歩をしたのだが、メインの散歩コースが井の頭公園までの約40分だった。その道すがら「あの家いいね〜」とか「あのマンションおしゃれだね〜」とかよく話していたのだが、うちの奥さんが「でもやっぱり木の家に住みたいよね」のようなことをよく言っていて、すっかり洗脳されてしまったわけである。

ちなみに断っておくけれども、当時自分たちは家を買える金を持っていたわけでもなく、単なる願望を話していただけです。僕なんか万年貧乏といわれていた男だしね。
僕はコンクリートの打ちっぱなしの家もおしゃれだなーとおもっていたしそれほど木の家というものにこだわりがあったわけでもなかったのだけれども、すっかり頭の中には木の家というキーワードがインプットされていたようだ。

うちの奥さんは木の家の写真を見たり、そういう家が紹介されている雑誌を見るのが好きだった。あるとき、本屋さんでこれはうちの奥さんが喜ぶかもと思い手に取った本があった。それが「木の家に住むことを勉強する本」だった。割と高かったのだが買ってみたところ、うちの奥さんよりも僕がその本にはまってしまった。
この「木の家に住むことを勉強する本」はおしゃれな木の家の写真も紹介されているのだが、それ以上にその内容の濃さに僕はどっぷりはまってしまった(専門の人から見たらそうでもないのかもしれないけれど)。
日本の森の現状、植林、木の特性、材としてどのように使われるか、木組みという家の建て方などなど、面白く勉強になることがたくさん書いてあった。

特に印象深かったのが、森を育てるということと、植林するということだった。
木を植えた山を森にするためには、除伐(枯れかかっている木などを伐る)や間伐(木が育つとその分光が入らなくなるので光合成のために気を伐る)といって人の手を加えないといい森として育たないということを知らなかった。人の手が入っていない森がいい森だと思っていたのだ。

また、家を一軒建てるということはその分木を使うということで、その代わりというわけではないが、植林体験という形で山に木を植えるという紹介もあり、これもとても印象的だった。
自分が家を建てるときも植林体験したいなあと、とても感じたものだ。

と、この本に出会ったことで自分としても木の家以外にねえなこりゃ。
となってしまったわけです。

あとは、ちょうど同じころに面白そうだなぁと思い手にとった本に宮大工千年の知恵―語りつぎたい、日本の心と技と美しさというのがあった。

宮大工ものといえば、木のいのち木のこころ―天・地・人が有名で売れているとは思うのだが
読みやすく、日本の木造建築というものに新たな視点を持たせてくれた
前者に1票入れたい。

この本も昔ながらの木の組み方であったり、木造建築の美しさであったり、軒反りであったり、いろいろと書いてあり、木の家というもの対して興味を持つのに大きな影響を与えた本だ。
というところが、自分にとっての木の家・木組みの家のはじまりとなった。
次回はなぜ、 ワークショップ木組み を選んだのか?という点でも書いてみます。


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